如月

描いてよ 君は君のまま

2021.6.27


この一年で新しく見つけた18個の好きなところ。すこしずつ顔付きが大人になって普段の声が低くなっても、笑う時はずっと無邪気であどけないところ。「僕は大丈夫!安心してください」と言ってくれた時から 本当に深く想い悩むことがなくなった、まっすぐ信じられるまっすぐな言葉たち。謙虚さと貪欲さの両方を対等に持ち続けられるところ。外見以上に考え方を新しく更新し続けているところ。自分にとっての「できない」を責めたりせず 受け入れて認められるところ。そういう自分自身に対する優しさや受け入れ方。パフォーマンスではじめて見る表情が もう二度と見れない表情でもある儚さ。狭く深くな周りの人との関係の築き方、大切にする姿勢。そういう何でも器用にこなすわけじゃなくて 不器用さもあるところ。自信を身につけることがゴールではなくて 新しく身に付けた自信で新たに歩みを進められるところ。書いてくれた言葉の奥に心がきちんと見えるところ。いつもラウールくんの心に触れさせてくれるから 一緒に喜んだり悔しんだり同じ温度で共有できるところ。モデルのお仕事をしている時の 絶対に手の届かないところで光っているかのような気高さ。自分自身、メンバー、スタッフさんとか 色んな視点から自分を見つめられるところ。そうやって自分を客観視出来るのに 自分らしさを見失わずにいられるところ。相手を見つめる時の優しい目。大切な話や言葉の時は目を逸らさないところ。どれだけ変わり続けても その先で必ず好きで居させてくれるところ。


なんかわたしが「上手くできないな〜、」「こんな風に変わりたいなあ〜」って思う先に必ずラウールくんがいて、勝手なこと言うけど 本当に本当に わたしが悩んでいる時に 一番ほしいものがラウールくんの中にあるって感じる。向上心は人一倍あるつもりなんだけど 考えすぎで自分で悩み作ってばっかりな私なので、ラウールくんの姿は大袈裟じゃなく光だなあって。言葉にすると恥ずかしいね(笑)でも本当に、そうやってラウールくんに手を引いてもらっている感覚がすごくあるんだよね。だから人としても 好きな人としても見続けたいって そう思うのです。

「今までもこれからも 何かに支配されたり、何かに囚われたりして 自分を出せなくなるという状況にはなりたくないんです。それだけ避けられればいいかなって感じですね。これから先どんなに嫌なこと、困難なことがあっても 何事にも囚われていないっていう自由な心だけ持っていられたら それでいいかなと思います」
17歳のラウールくんには安心させてもらってばっかりだったなあって 思い返して気付いたけど、最後の最後に いちばん揺るがず安心できる言葉を貰えたなあって、もうめちゃめちゃ嬉しかった この文章です。

ラウールくんがラウールくんで在り続ける限り、ぜったい大丈夫。ラウールくんが見せてくれるラウールくんの姿を信頼して好きでいます。18歳のラウールくんにも たくさんの愛が届きますように。お誕生日おめでとう!18歳のラウールくんのことも大好きです。


(去年から年齢に合わせて好きなところ書いてるから ラウールくんが20歳になるまでは続けたいと思ったり)

きみのことが分からなくなるたび 好きだったことに気づくのです

はじめてブログを書いたのは春の日だったね。たしか外は晴れていたはず、とはいえ あまり覚えていないのだけど(笑)でもパッと思い浮かんだ外の景色が 晴れているのはうれしいね。わたしは専ら太陽タイプだし、さむいのに弱くて 憂鬱が毎日やってくるな〜って日々の中に最近はいたのだけど、お友達に「どうしたらいいかなあ」って相談してみたら、「じゃあ今はがんばらなくて良いんじゃない」って返事が来たんだよね。がんばる為にどうしたらいいか を毎日ぐるぐる考えていたから、その言葉をかけてもらえたことは あたらしい光が差し込んだ感じ。それでね 出来るだけ のんびり何日かを過ごしていたら エネルギーが満ちてきたのか、とつぜん「よし!今日はがんばりたい!」って朝起きた瞬間から わたしの周りの空気が違う日があったんだよね、ほんとうに その日を境に 色んなことに前向きに取り組めている実感がある。だからなんだって感じだね、スノーマンがゆっくり毎日を過ごせている間にあつまったエネルギーたちを引きつれて 2021年にいくのが楽しみということです。


一日のほとんどを使って 雑誌を読み返したりしたよ〜 わたしはラウールくんのことばを通して ラウールくんを知ってきたのだねって思う。その知ってきたというのは 「理解している」とはまた別もので、まだまだラウールくんのことは分からないことだらけ。テキストのひとつひとつに思いを巡らせすぎて 途中でもうどこに向かっているのか彷徨って 考えを止めてしまったことも何度もあるし、一度考えが見つかったと思ってもまた動き出したりするし。だから本当にツイッターが苦手(笑)目の前のことをすぐ書けないし、一度書いたことも 過去の自分に「いやいやもっと違うニュアンスだったのでは…?」と言いたくなるし、そんなストイックに挑むような場所じゃないでしょって自分でも笑いたくなるけど。でもわたしがツイッターをはじめたきっかけって ラウールくんを応援する声のひとつになりたかったから だったよなあって。だから言葉にちゃんと責任を持てるようになってからアカウントをつくりたかったし、自分の言葉でラウールくんの魅力が薄くなるようなことは絶対に嫌だったんだよね。それはもちろん今もだけど!でもやっぱり出来るだけ同じ時に同じことに 一緒によろこんだ一人でありたいから もうすこし素直な自分を飾らず表に出せる人になりたいな〜 むずかし〜!

なんか 感覚のはなしだけど、わたしはラウールくんを見つめた先でラウールくんの「正解」を見つけたいというより、わたし自身の心を見つけたいのだなあって感じ。ラウールくんのことをもっと知っていきたい分かりたいって気持ちはもちろんあるよ。でもラウールくんを理解することが着地点ではなくて、ラウールくんを見て感じて考えて 自分の中にあたらしい気持ちや思想が見つかる、そのすべてに意味があるなあって。やっぱりラウールくんのことが好きで大好きで、それが幸せだなあって思うから、出来るだけずっとこの気持ちの中にいたい。「それぞれの幸せの形は変わるかもしれないけど、その瞬間の幸せをちゃんと全身で感じられるような生き方をしたいんです。」と話していたラウールくんのことを思い出すけど、もう幸せの形が変わることには抗えないと思っていて。特にこの一年はそうだったしね。だからラウールくんのことを「幸せの理由」にしておきたくないのだよね。ラウールくんがいるから幸せ みたいな一本線だけじゃ それって きっと変わっていってしまう気がしていて。だから ちゃんとラウールくんを好きでいる先に 自分の心を見つけていきたいし、そうやってラウールくん越しに自分の心をつくっていけたら、いつまでもわたしの中にラウールくんが居るのではと思うんだよね。好きだから好きで居る だけで終わりたくないなと思う。あれこれ考えても アイドルは本当の姿ではないよね と言われることもあるし、たしかなことなんて一つもないのかもしれないけど 好きの正解ぐらいわたしが決めていたい。「愛は感じるんだけど、なぜなのか考えてしまうんです。」とラウールくん自身が言うぐらいだからね(笑)そこはわたしが勝手だろうと決めちゃっていい気がしています。

あとね ラウールくんが入所日にあげてくれた動画の中で、「芸能人の僕が生まれた日」って言葉があったり、今までのテキストを読んでいても「僕がつねに念頭に置いているのはアイドルであるということ。」「僕はアイドルを追求したい。」と言っている場面があるのだけど、ラウールくんと アイドルのラウールくんはちょっと別のところにいるのかなと思っていて。ラウールくんそのものが アイドルであるラウールくんを創り上げている っていうこの感じがほんとうに言葉じゃうまく伝わらないね〜……(泣)ラウールくんそのものに触れているなあって瞬間もあれば、ラウールくんにラウールくんを見せてもらっているって感じるときもあって、わたしはそのどちらも愛おしくてたまらないのだけど。ラウールくんが見せたい自分の姿があるなら 見せていないところまで無理やりのぞき込むようなことはしたくないし、もし例えそれが本来のラウールくんの姿とは違っていても、甘くやさしいその罠に素直にだまされて居たいと思う。アイドル として生きるラウールくんも、アイドルというお仕事を真っ当するラウールくんの姿も わたしの心をきらんと照らす存在なことには変わらないね、今日もラウールくんのことを 好きでいられてうれしい。


ひとつの話をすると 次から次へと言いたいことが出てくるから困る(笑)さっき 無理やりのぞき込むようなことはしたくないって書いたんだけど、そこに寄せている想いもあって。それが ラウールくんのパーソナルスペースの守り方、自分自身の守り方がすごく好きなんだよね。すのとStay Home の感想で「なんか一緒に住んでる人しか見れないものを みんなに見せちゃった感じ!笑」とコメントしていたのだけど、自分の私生活のことを 「一緒に住んでる人しか見れないものを見せちゃった」と言ったところが めちゃめちゃラウールくんで大好きだった。なんだろうな〜、この全部をオープンにはしない感じ。ひとりの時間は絶対ほしい派なのもそうだし、自分だけの空間をちゃんと持っておける。顔も名前も知らない人からも 評価されてしまう世界にいるからこそ、そうやって自分だけが知る自分を持っておけるのってすごいな〜って思う。「自分自身を壊す行為はしたことがないです。でも人に壊されそうになったことはある。」って話を聞いたときも、そうやって自分を守り抜けるのかって、これこそが強さだなあって わたしの強さの概念をつくってしまったもんね。それにしても「一緒に住んでる人」を家族に限定しないの ちょっとずる過ぎじゃありませんか、ってその時もさわいでたね(笑)


あとやっぱり忘れられないのは KISSIN' MY LIPS / Storiesのこと。実は何度もブログを書こうとして 書けなくて でも この気持ちを分からないままにしておきたくなかったし、ちゃんと存在させたいと そう思う。それは紛れもなく『夢を叶える為に必要なもの、賢さ』と答えた それです。「夢とは言え がむしゃらに頑張るだけではなく、賢く自分を分析して努力することで夢は叶います!」のまっすぐさ。こういう意味での 賢く生きるということは 極端に言うと、努力を省くための手段なのかなと思っていて。それが努力を導くために賢さを手にするのかと、そんなことが出来てしまうんだって もう しばらく他のことなにも考えられなかったもんね。はじめてYouTubeに登場したとき「はやく認められるように全力でがんばる」と言っていたことと 全てがきっかりはまる。ラウールくんには「はやく」が必要だったから、いろんな道をひたすら走ってみるのではなく、自分が走るべき道を定めて走り抜けてきたんだなあって。そこの選択をし続けるのはラウールくん自身だし、だからこんなにも自分を信じ続けられるのだろうし、そうやって自信を獲得してきたのだよね。Lock on! のCM撮影で「むずい」と納得のいかない顔をしていたラウールくんが、KISSIN' MY LIPSの撮影では どこにも悔いが見つからない顔で「完璧」だけを残していったことも すべてが繋がっていく。そんなラウールくんが「未来は自分で切り拓くんだって」って歌うもんだから、胸の内からぼうっとあつくなる。ラウールくん やっぱりあなたは間違いないよ!って好きでいるたび わたしが誇らしくなっちゃう。ラウールくんがアイドルでいることを天職で幸せと呼ぶなら わたしはずっとファンでいたいと願うよ。

2年目も勢いを止めたくないというあなただから、出来るだけ無理はしないで でもすこしだけ無茶はしてほしい。たくさんの夢をみて いっしょにその夢の中を生きていけるよう わたしも豊かに過ごすよ。めちゃ長ブログになっちゃった(笑)またね〜!🦖

花には水を 僕には夢を


いつもスノーマンのみんながデビューコンサートのお話をするとき、そこに手に取れる思い出はなくて、そこに残るのは「ごめんね」や「くやしいね」という文字たちで。でも今はデビューコンサートを振り返ることのできる確かな思い出がみっちりとあって、何度も聞いた「ごめんね」に対する「謝らないで〜…」って気持ちが、気づけばありあまる程の「ありがとう」に対する「こちらこそだよ〜!」になっていたこと、いちばん望んでた形ではなくても たしかに進んで、たしかに開いたデビューコンサートのこと。文字の上でもう一度開催させちゃおっかなって気持ちで書くよ〜!


じっとしてられないまま18時30分はやってきて、待って待って〜!となったまま 真っ赤に染まった幕がバサッと音を立てておりたのでした。わたしてっきり三浦界くんを宿したキンキラ頭のラウールくんがそこにいると思ってたから「ギャーー!銀だ!!!」とあわててしまったよ〜〜。お久しぶりですギンギラ頭くん(泣)わたしはラウールくんの特別な日の迎え入れ方がとても好きで、大事な撮影前は食事制限をしたり 誕生日がある一週間はずっとソワソワしたり、今回もコンサートを目印にして その日に向けて髪の毛染めちゃお〜!ってなった日と お披露目する日に向けて一日一日を過ごしていたんだな〜 なんてとこにまで想い寄せちゃって(笑)特別なその日と その日がくるまでの道のりまでも一緒に思い出にしてしまえる、そんなラウールくんの毎日の歩み方がとても好きだな〜!


まず最初にDon't Hold Backの話をしたい!この曲の中にいるラウールくんは この曲で踊ってる・パフォーマンスしている・表現している なんかどれにも当てはめられなくて、そんな中でぴったりを感じたのが「この曲の中を生きてる」って感覚だったんだよね。ほんとうに大げさじゃなく、ラウールくんそのものが音で音符でリズムで、楽譜の上をラウールくんが奏でているようなイメージ。ラウールくんの動くところすべてに音符が見えるんだもん、音楽を愛していて 音楽に愛されているのだな〜って(もしかしてサンシャイン池崎さんみたいなこと言ってる!?)
首に巻かれたピンク色のスカーフやジャケットの裾までも一緒に踊っているように見えて 自分や見てくれてる人だけではなく、身につけているものまでも楽しませてしまうところにメロメロなわたしでした…。

あとはやっぱり!君の彼氏になりたい!
「12時に帰るんでしょ」のところ、わたしの感覚としては「どうせ12時に帰るじゃん」ってちょっとムッてする感じを勝手に想像していたのね、そしたらラウールくんは「12時に帰っちゃうの…?泣」ってしょんぼり顔したの、も〜〜〜う!こんなかわいいことがあっていいの!?って大変おどろいてしまいました。そろそろわたしラウールくんのかわいさに慣れなよ(泣)

ついついわたし話過ぎてしまうから すべての曲のあれこれを取り出すことはできないけど、ステージに立つラウールくんを見ながら 今ラウールくんに「しあわせ?」って聞いたら、必ず「しあわせ!」って勢いよく返ってくるだろうな〜って瞬間があちらこちらにあって、それだけで心があたたまって ほろりと泣けてしまう、好き以上に自分の気持ちに似合う言葉があるはずだ!と探すのだけど、結局まっすぐな好きがいちばんよく似合う、ラウールくんとびきりだいすきです。もうほ〜〜んとにだいすきなんだよ〜(泣)



オーラス最後の挨拶で「ぼくは不器用なところがあります」ってお話をしてくれたこと、話を始める前までのすこしの間、呼吸の音だけが聞こえる時間があって、「そうだ」と思い出したように話始めてくれたのだけど、きっとラウールくんの中でいつか自分の口で言わなきゃとずっと思ってたんじゃないかな。わからないけど 話の切り込み方からなんとなくそんな気がした。わたしフォローしてる人のつぶやきしかほとんど見ないから、というか見ないようにしてるから 今のラウールくんに対してどういう言葉の矛先が向けられているのかちゃんと理解していないのだけど、「僕がなんか言われて僕が悲しい気持ちになるのは分かる」と ちゃんと悲しいことは悲しいと伝えてくれたこと。強くて賢い人だから 心の傷をそのままに過ごすことも、自分でその場しのぎの手当てをすることも出来てしまう気がするけどちゃんと言葉にしてくれて、もちろん傷つくようなことがないのが良いのが大前提だけど!自分で自分の心をきちんと守ることができる方で安心した。


「よくよく考えれば俺を応援してくれてる人が悲しい思いをしてたこともいっぱいあったと思う」

ラウールくんがアイドルである自分を見つめる時、その目線の先には必ずファンの姿をそばに置いててくれるのだよね。ラウールくんがどうか悲しい思いをしていませんようにと願えば、ラウールくんはファンの子が悲しい思いしているかもって お互いがお互いの思いやりの中にいるの、なんてあたたかいことなんだろう。「好きな人が悪く言われていたら悲しいよね」ってことに気付けるのは、ラウールくんが今までまっすぐに人を愛して、まっすぐに愛を受け取ってきた証だな〜とも気づく夜でした。


「ぜったい俺のこと、スノーマンのことを好きな人が大多数派になるよ」

「みんなのこと好きにさせる!」とか「好きになってもらえるように頑張る!」とか、そうじゃなくて、ラウールくんは 今の自分のことを好きな人がいるってことは、自分のことをよく思わない人がいるのも知っていて、でもそれでも 自分を曲げない為には、自分のことをよく思わない人が居続けることを分かっている。というか、自分を曲げてまで好きになってもらう必要はない という方が正しいね。でも決してそこに「諦め」の気持ちは全然なくて、むしろすごく強気なの。今の自分のままで、素直な自分のままで、まっすぐな自分なままで必ず大丈夫だって。誰の言葉よりも自分を信じ抜けるその心を好きになり続けているよ。

繰りかえすようだけど「大多数派になる」って言葉を選んだところがほんとうに、すごくすごく好きだった。きっとここで「自分のことを好きで居てくれる人を大切にします」というような言葉を選ぶことだって出来たわけで、今目の前のファンだけを見るなら、その言葉がいちばんストレートにハートをうち抜いてたと思うし、もしわたしがラウールくんの立場だったらそう言ってしまっていたんじゃないかな。でもラウールくんはこれからもっと仲間が増える未来が見えていて、そして今はまだそっぽ向いてる人を振り向かせることだって出来ることも限りなく信じてる。きっとラウールくんのことだから、そんな未来がくるのを待つんじゃなくて、そんな未来を自分で作り上げていくのだろうな〜と思うよ。いつだってラウールくんは今ここに居ながら、目の奥で未来を見つめているんだなあ。


「のども体もボロボロで、足の皮もボロボロなんだけど」と話している時の目がね、とてもキラキラと輝いていて、ラウールくんはいつも「大変だったけど楽しかった!」「しんどかったけど勉強になった!」みたいに、いつもハッピーエンドで物語を結べる人で、だからボロボロと言いつつ どこか清々しい顔をしているラウールくんを見て、この痛みや傷さえひとつも仲間はずれにすることなくデビューコンサートの思い出として心にしまうのだろうなあと思ったよ。


コンサートのおわりなのに 次の始まりにわくわくするような いつだって未来へのきらめきに満ちていて、わたしが今まで信じられなかった「ずっと」がここにはあるような気がしちゃったよ。できるだけずっと できることならずっと、わたしを照らす一番星であってほしいなと 秋の夜に気持ちを溶かすのでした。


Snow Man デビューライブ
"Snow Man ASIA TOUR 2D.2D."

夢の狭間で今日もおやすみなさい、またね!

三原色

三原色

  • PELICAN FANCLUB
  • ロック
  • ¥255

タイトルはこちらの歌詞から!

私の好きな私を身にまとって

 

きのう 街のあらゆる家々の電気がぱたりと消えた時間に業務がおわって、ひとり自転車にまたがって「よし帰るぞ〜〜」と家のある方向を見たら、まんまるでっかいお月さんだけは起きてたよ。もう秋がここまで来たかと感じたりして、わたし寒さには専ら弱いのだけど(スノーマンのファンなのに!)なんなら暑いのがだいすきなのだけど(スノーマンのファンなのに!?)最近は新しい季節を運んでくる風が吹いていて これからどんどん苦手な季節になっていくのに、なんだかわくわくしてしまう気持ちと仲良くしている日々です。

 

先日わたしの悩みのいちばん大きい部分になっていたあることが無事に終わりまして、ここ数ヶ月かな ほんとうに悩んだ!し、落ち込んだし、自信をなくしてしまったし、でもそのおかげで乗り越えた今に大きな成長をひしひしと感じられたりして、これから自分の人生を振り返るときに欠かせない数ヶ月を過ごせていたよ。SNSもあんまりじっくり見れなくて、大好きな人たちのご活躍を見逃してしまったり全部を器用にこなすことはできなかったけど、あの日の後悔もぜんぶ結ばれたんじゃないかな。これからもたくさん悩んで落ち込んで傷付いて失敗していきたいな〜と思う。悩んだ先に答えがあって、落ち込んで傷ついた先に優しさがあって、失敗の先に成功があるんだなと 周りから見たら必要のない遠回りでもわたしは冒険家でいたいし、いつまでもそこに喜べる自分でありたいな と心にしまうのでした。

 

と言えるのは今の自分だからで、その最中をめぐっている時はとてもこんな前向きではなくて(笑)必死に足ぶみしているのに後ろに引っ張られていくような、だから「なんで!?なんで進まない!?」と無理やり自分を押し進めてみたり、後退していくのがくやしくて「頑張っている」ということへの充実感がほしかったのだよね、だからぜんぶに注げるだけの熱量をかけてみるのだけど、もちろんそれがずっと上手くこなせるわけもなくて、次は「頑張れてない自分」になるのが怖くてまた自分の背中を力づくでグググっと押してしまう、なんだか満たされなくてずっと「幸せになりたいな〜」と考えていたりしたのだけど、そこ、そこに大きな落とし穴があったのだよね。

 

 

ラウールくんに出会ってから自分の中で幸せについて気持ちを巡らせる時、必ずこの「幸せになる」というラウールくんの掲げた夢を照らし合わせるのだけど、ラウールくんは「幸せになりたい」ではなく「幸せにする」でもなく「幸せになる」人なのだよ。他人や運任せではなく、ひとつずつ自分で自分の幸せを見つめて そこに向かってひたむきに歩みを進める。そしてそこにラウールくんを応援しているわたしのような人間も巻き込んで自分の幸せを分け与えてくれる人だな〜とつくづく思う。ラウールくんを好きでいて幸せを感じられるのは、ラウールくんが幸せを配っているというよりも ラウールくん自身が自分の幸せを大切にしてくれて、それをみんなに共有して輪を広げて手をつないでくれるからだよ。

だからわたしはラウールくんに幸せを求めてすがるような人間でいたくない、ラウールくん自身の幸せとわたし自身の幸せ それは別々にあって、そのお互いの幸せが重なったり通じ合った時(間接的にね)ほんとうの意味で幸せと呼べる気がするよ、ラウールくんだけに限らず自分を幸せにする内訳はひとつにしたくなくて、日常生活のあちらこちらに好きを宿したいし、その真ん中にどーんとラウールくんがいてくれたら わたしにとっての大きなよろこびです!

 

初めてラウールくんのこの言葉を見た時は、すごく規模の大きい夢だな〜〜と思ったのだけど、この抽象的な表現がいちばん正しいのかもしれない。美味しいごはんを食べるのも幸せだし、アラームをかけずにぐっすり寝れる休日も幸せ、だいすきなお友達と意味もなく笑い合ってる時間も幸せだし、もちろん好きなアイドルのご活躍を見るのも幸せ!画面の奥からラウールくんの高らかな笑い声が聞こえてくるのも幸せ!これをしたら幸せ、こうなったら幸せなんてゴールはなくて、そういう小さいものから大きいものまで手に取って温めて 小さすぎて見逃してしまったらまた見つければいいし、ラウールくんを好きになってから幸せが増えたことは間違っていないのだけど、きっとそれはラウールくんが気付かせてくれただけでわたしの周りにもともとあったものでもあるんだな〜とうれしくなる。

 

もっといろんなラウールくんやスノーマンの話をしたかったのに なんだか自分の話ばかりになってしまったのだけど、自分がまた後ろにひっぱられてしまった時に 何度もここへ駆け込めるように、たまには私から私に向けた文章を書き残しておこうという試みでした!

 

わたしのハッピーマインドの隠し味はこちらの楽曲たちです、いつもありがとうございます🌿

 

NO NAME

NO NAME

 

チェンジユアワールド

チェンジユアワールド

 

いい日になりそう

いい日になりそう

  • ヤユヨ
  • J-Pop
  • ¥204

 

↑タイトルはこちらから

(パフェさんの歌詞をタイトルするの真似っこしてしまいました、勝手にごめんなさい‥‥涙)

夏色の君は扉をひらく

 

停滞していた日常がまた動き始めて、ちょっと家から出ない間にこんなにも世界は眩しい光を照らすようになったのか!なんて思っていたら、そっか 今年も夏がやってきたのだね

 

じわじわ熱気を帯びた日差しを浴びるたびに、一年前の今日は何してたんだろうとじんわり思い返してみて、こういう場所で自分の私生活の話をするのはあまり得意じゃないんだけど、去年の春から今ぐらいは心が砕けそうになる日々が続いていて 誰と比べるわけでなく今までの自分と比べてね いちばん「つらい」が生まれた期間だったりして。プラスに捉えればもちろんそこに充実はあったのだけど、その時は明日を迎えにいくことにどうしてもワクワク出来なかったんだよね

それを乗り越えた先に 大きな体のてっぺんに明るい髪の毛を輝かせた男の子に出会えたもんだから、ラウールくんあなたはやっぱり私の人生のご褒美ですと思ってしまうのだけど。

今年の夏はラウールくんが運んできてくれたうれしいお知らせと共に扉を開いたこと、忘れたくないなって話をしよう!

 

見慣れたロック画面に表示された「6月30日」が「7月1日」にバトンタッチした瞬間は取り込んでいて、気付いた時には「あ、7月になってる」って感じだったのだけど、ひと息付いてみんなが寝静まったであろう時間にアプリを開いたら「ラウールくんおめでとう!」の文字が飛び込んできたもんだから目はパチリ。新聞にドーン!とモデルの品格を纏ったラウールくんの姿がいて、わたしが好きになった人はモデルさんだったかな?と疑ってしまうぐらい アイドルとはまた違うモデルとしてラウールくんの姿 まぶしくて息を飲んでしまいました。

改めてラウールくんモデルデビューおめでとう!夢が叶う瞬間のまばゆさって本当に何にも代えられないんじゃないかな。そのまばゆさの真ん中にいるラウールくんの姿はとびきりかっこいいです。わたしが好きになる前のご活躍ももちろんあったものだから、こうして同じタイミングで「おめでとう」のひとつに私も確かにいること いつも新鮮にうれしいんだよね。もうラウールくんへの好きを抱えた生活に慣れるぐらいの月日は経ったのだけど、ラウールくんを好きになったばかりのころ、ラウールくんが辿ってきた道をなぞった先にいつも私はいなくて、好きになるのに早いも遅いもないかもしれないけど でも、でもやっぱりすこし寂しかった。だからラウールくんがお仕事を掴み取ってくれたとき、パッと目先の未来が輝いて、それと同時に今夜芽生たこの「うれしい」が思い出として心で煌き続けること。これからいつ振り返っても ラウールくんの歩んだ痕跡の片隅にわたしも居られること ずっと大切にしたい気持ち。

 

先月の27日ラウールくんが生後6210日目を迎えて(お誕生日おめでとう!)更新してくれたブログで、たくさんのおめでたいお知らせの中にSPUR9月号の掲載とともにMEN'S NON-NO8月号の告知もしてくれたね。「自分史上最高が出まくっています笑笑」「まじの期待していいやつです!笑」と大きく胸を張って言うもんだから、ただでさえ「今日寝て起きたら7月9日になってないかな?」という情緒で毎日をくぐっていたのに、どこまでも気持ちを膨らませてくれるんだなあ。 ラウールくんを好きになってから明日がやってくることずっと楽しい。明日を積み重ねた先に大きな幸せを抱えて待っててくれるもんだから その日を目印にいつもより熱さが増したパワーがみなぎったりもする。いつもラウールくんへの好きはエネルギーになって生活に寄り添ってくれるんだね。

少し下に指を動かすと「早くみんなの手元に届かないかなーー どんな反応してくれるのかな?わくわく!わくわく!」と書かれていたのだけど、わたしもう次になかなか進めなくなった。ラウールくんのこと恋人でもなく息子でもなく友達でもなく「アイドル」として好きな理由。ここに全て詰まってるんじゃないかってぐらい うれしいって気持ちがわたしの心にめがけて一直線に飛んでくる そんな好きの形。

かっこいい写真に仕上がったから「楽しみにしててね!」でもなく「ぜひ買ってね!」でもなく、「みんなどんな反応してくれるかな」に真っ先に気持ちが向いて、それがラウールくんの「わくわく!わくわく!」の正体になっていること。ラウールくんがお仕事を頑張ってくれて、それを受け取るこちらはただ幸せや楽しみを与えてもらってばかりで、(お金の話はいやらしいけれど… )でも雑誌を買って数値が結果につながったとき、全然ラウールくんが頑張ってくれている量とは比にならないけどね。それでもここでやっとすこしでも返せたかなと思うのに、ラウールくんがいちばんうれしいと感じる部分がファンの喜ぶ姿であること、こんなにもラウールくんの愛情の中に居て大丈夫なのかなとあたふたしてしまう、それぐらいたくさんの愛を感じるよ。

ラウールくん あなたって人は、やっぱり相手の幸せに自分の幸せを重ねられる そんな心の持ち主で、そして相手の気持ちを受け取るだけじゃなく 受け取ったその気持ちを自分の心に一緒にしまっておける、そういう温かさの中で優しさを磨いて生きておられるんだなあ〜と くらくらしてしまう。

 

それをいちばん最初に見つけたのは アイランドTVのラウールくんのアーティストページ。将来の夢「幸せになること」に続けてファンへのメッセージが「人を喜ばせることが大っっっ好きです」と、"大好き"の間に欲張りして3つも付けてくれた小さい文字からも、本当にそう思ってくれていることはまっすぐに伝わった。ありがとう!うれしい。でもこれを見たときにふと思ってしまったのだよね、人を喜ばせることが大好きでそこに幸せを感じられるってことは、ラウールくんが将来の夢に掲げる「幸せになること」って「人を幸せにすること」とイコールで結べるんじゃないかって。すこし回りくどくなってしまったけど、ここが今日の本題みたいなものなので改めて言うと、もしかして「ラウールくんが幸せになること=人を幸せにすること」なのですか、と言いたかった。

"都合の良い解釈"と言われてしまえばそれまでなのだけど、でも、わたしが好きなラウールくんは、良くも悪くもだれかがつけた評価の中にいるラウールくんではなくて、自分の目に映るラウールくんの姿なので。この考えをみんなに押し付けたいわけでは決してなく、ただわたしの心がこの言葉に触れたとき、こんな風に感じたよ こんな優しさに触れたよって。数ある「好き」の形の中のひとつとしてね、またひとつここに好きを見つけたってことです。

 

ラウールくんとアイス片手に肩を並べて歩く日や、お家に帰ると「おかえり!」と飛んできてくれるラウールくんもいなければ、自分がさみしい時にLINEの友達欄を上から下までどんなに行ったり来たりしてもラウールくんの連絡先はないのだけど(笑)それでも大切にされているという感覚が温もりがたしかにあるんだよね。アイドルからファンへって枠組みの中でも、たしかな「人から人へ」の気持ちをたくさんラウールくんから受け取っている。しかもなんと!これがわたしだけじゃなくてですね、ラウールくんのことが好きな人みんな平等に届けてくれるもんだから 本当にすごい人を好きになってしまったな〜!と口角はずっと上向きのままニコリ。

 

どんどん光が照らす方へ、照らす方へと駆け上がっていくラウールくんの姿は わたしから見るとラウールくんそのものが光ではあるんだけど、遠いけど遠くない。だからと言って近すぎない。このラウールくんとの距離感がわたしのお気に入り。モデルとしての扉を開けたラウールくんの目の前にはまた新たな道が用意されていて、迷わずラウールくんはその道を一歩ずつ丁寧に進みながら、その過程にある努力や大変なことさえもこぼすことなく幸せに結びつけられるんだろうなと確信している。そうなるように願っているわたしも居る。

お洋服に寄り添うまだ知らない表情にこれからもどんどん出会うたび、またラウールくんへの好きを何度も始めよう。いつだって今在るラウールくんが全てで、いちばん好きです。

 

 

 

 

『ラウール、夏色に愛された男。』

ラウールくん色のわたしの夏。これにて開幕!

「ありがとう」の中に愛おしく芽生えた「ごめんなさい」

 

四月の春の香りが色褪せまいと残りつつ、

熱気を帯びた夏へと向かう風が頬を撫で始めた

そんな五月のとある一日。そして掛け替えのない一日。

 

2020年5月2日 ラウールくんが入所してピッタリ5年。

 

もうラウールくんのいない毎日を思い出せないけど、ラウールくんが私の中にいなかった五年前のその日、私は何をして何を思って生きてたんだろう。たぶん2015年5月2日はカレンダーの規則正しく並べられた数字の一つで、毎日良くも悪くも当然の顔してやってくる朝に「おはよう」の挨拶をして、「おやすみ」の言葉でそっと幕を閉じた。何の変哲もない、業務的な一日だったんじゃないかな。

 

その五年前の自分に「5年後その何気ない5月2日が特別愛しい1日になるよ」とコッソリ教えたくなるような、でもやっぱり内緒にしておきたいような。そんな気持ちになるね。

 

この大きなイベントに「おめでとう」を贈るべきなのか

それとも「ありがとう」を選ぶべきなのか。

時間をかけて頭を悩ませたけど私は欲張りなので両方を贈ります。

 

5年と言う大きな節目を迎えたことに対する「おめでとう」

そして5年間アイドルである自分を選び続けてくれた事への「ありがとう」

 

ラウールくんへ向けた「好き」の矢印は来月の誕生日に、じっくりとメモの中で何度も書き直したり言葉を付け足したりして、その日が来るのを今か今かと待ち望んでいる言葉たちをギュッとまとめて贈りたいので、今日はラウールくんに対する「ありがとう」への気持ちに焦点を当てて言葉を綴ります。

 

私が出会ったのは Snow Man の一員であるラウールくんで、それ以前のラウールくんの思い出の中をどこ探しても私の姿はありません。なんだか文字に起こしてしまうと途端に寂しくなる気もするけど、ラウールくんが愛され大切にされ守られ、その先で私もラウールくんに愛を贈る一粒になれたと思うと、それってとっても幸せな事だなあ…と思います。

 

私が知らない所でもラウールくんを取り巻く環境の主成分が「愛」で出来ていたこと、すごく嬉しい。

 

この5年の間に小さな事から人生規模の大きな事まで沢山の選択があって、その痕跡を辿れば、自分の中に生まれた感情に素直なラウールくんにとって、その選択が傷となったり、あの大きな体でも受け止め切れないような煩いや葛藤が刻み込まれていると思うと、アイドルであるラウールくんが好きな自分と、いつも幸せでいて欲しいと願うファンのエゴで立派な矛盾から出来上がった感情に掻き乱されてしまいます。

 

三者の私なんかが心配の2文字と直面するのに、ラウールくん自身が自分の選択と自分の人生に対する圧倒的な自信があるところ。本人の口から「乗り越えた今だから言える」と言っていたけど、その乗り越える強さを知っているところ。私の後ろ向きの感情を前に向かせてくれると言うか、ラウールくんが向く方を一緒に歩んで行けば、きっと大丈夫なんだろうなと思えるほどの信頼と安心、そしてそこにラウールくんから貰った「胸を張って俺を応援して」って言葉。ラウールくんを好きでいること、ラウールくんのファンであること、ラウールくんの味方でいること。私の選択まで全て認めてくれた気がしました。

 

私には私としての生活があって、その生活の余白にアイドルであるラウールくんがいることで、幸せがトッピングされていて、でもラウールくんにとってアイドルって人生そのもので。私は人生の一部を預けているのに対してラウールくんは人生そのものを預けてくれてる、ということ。

このお仕事をしていなかったら負うことのなかった心の傷や普遍的な幸せと引き換えにこの道を選び続けてくれているということ。

 

「好き」に盲目になると忘れてしまいそうだけど、この全部がラウールくんが与えてくれた宝物で、身の程知らずに当たり前に受け取って良いものじゃないと思っているので。好きと同じぐらいラウールくんに対する敬意と思いやりと大切に思う気持ちは心のポケットに常備しておかなきゃね!

 

ラウールくんの「幸せになる」って夢が、このお仕事をしているから叶えられたと言えるように、その夢に続く微力ながら痕跡の一つで居れますように。

「一生好き」なんて言葉は無責任なので贈るつもりはないけど、私の思い描く未来にラウールくんが居ること、とっても心強くて眩しいです。

 

5年目は途中からしか思い出を重ねて行けなかったので、6年目は思い出の1ページ目から一緒にめくって、その思い出に色を足していけること、そして来年のこの日、思い出でパンパンに詰まった一年を一緒に振り返れること。また楽しみが一つ増えちゃったなあ。

 

何気ない一日をラウールくんが好きって感情があるだけで、「今日も幸せだった!」に変えてくれてありがとう。毎回ラウールくんに今日初めて会ったかのようなドキドキと甘いトキメキを私に与えてくれてありがとう。嫌なことやモヤモヤに苛まれる日もラウールくんの明るさや前向きな思考で洗い流してくれてありがとう。ラウールくんを好きになって人や物に対して優しく接せる機会が増えました、私の心にいつも優しい風を吹かせてくれてありがとう。今日もありがとうを贈れる場所に居てくれてありがとう。

 

きっと私だけじゃない、止まらない「ありがとう」のシャワーにラウールくんが溺れていないか心配になってきちゃったね……

 

たくさん「ありがとう」を贈った後に

最後に一つだけ「ごめんなさい」もしておきます。

 

ラウールくん

ごめんなさい、今日もめっちゃめっちゃ好きです。